#ISO1638400、あるいは、写真史200年の更新

 写真の誕生から約200年が経過している。その間、写真行為というものは基本的に進化していない。

 写真機の出現は絵画を「写実」から解放し、アートをコンセプチュアルな実験の領域へと押し進めた。カメラというテクノロジーは室内から屋外へ、そしてデジタル化を経て手のひらに収まるスマートフォンへと凄まじい進化を遂げた。現代では生成AIによってデータ空間から容易に画像が出力される時代となり、写真の存在意義そのものが問われているが、目の前の被写体をカメラで撮影するという行為を欠いている以上、もはや従来的な意味での「写真」ではない領域へと進んでいる。

 一方で、写真機および生成技術がどれほど高度化しようとも、従来の写真行為そのものは200年間ほぼ進化してこなかった。なぜなら、それらはすべて「目の前に被写体が存在し、その被写体に依存してイメージを残す」という被写体依存の枠組みを出なかったからである。

 写真作家#ISO1638400 (イソ)が提示する表現の革新は、写真というメディアの物理的成立条件を保持しながら、この写真史200年の「被写体依存」という前提を根底から解体することにある。イソの作品において、日常の何でもないものが被写体に選ばれているのだが、それは依存すべき対象ではなく、自らのイメージを現前させるための触媒、すなわち画家における絵の具や筆などの画材と同等のマテリアルに過ぎない。目の前に被写体があり、デジタルカメラが存在し、それを作家がワンシャッターで撮影するという写真本来の営みを踏まえながらも、イソは被写体には従属しない全く新しい像を立ち上げる。この点において、撮影行為そのものを欠いたAI生成とは決定的に区別され、同時に被写体に縛られ続けてきた従来の写真行為からも完全に脱却している。

 ISO感度を極限値1638400まで高めた状態では、本来何も写らない闇とノイズの世界となる。しかしイソは、そのデジタルデータに対して「ポジからネガへの書き換え」というフィルム写真では真逆の操作を施す。ノイズというエラー(否定性)に、ポジ/ネガの反転(否定性)を掛け合わせる。この「否定性の積」によって、人間の眼球には決して捉えられない「不可視のイメージ=世界の裏側の位相」が鮮烈に立ち現れる。

 これは、かつてアンドレアス・グルスキーが『ライン川 II』で示したような、デジタルレタッチによって現実を削ぎ落とし、人工的に整地する西洋的な画面の統治のアプローチとは根本的に異なる。現実のノイズとカメラの極限状態をまるごと包摂し、「否定性の積」によって崇高を直接現前させるこの手法は、グルスキーを過去のパラダイムへと追いやり、現代写真作品の最高峰を超えうる批評的ポテンシャルを秘めている。

 過去の抽象写真や、近年のコンテンポラリーアートシーンは、特定の制度や限定された文脈の枠内だけの過剰なゲーム性に陥り、美や崇高という概念を軽視しがちであった。しかし、未知の光や自然のノイズに対峙し、そこに美や崇高を見出して形に残そうとする営みは、たった数十年余りの現代アートの文脈に留まるものではない。それは数万年前の洞窟壁画から今日まで、人類の身体に深く刻まれ続けてきた歴史の系譜である。

 だからこそ私は美と崇高を正面から主張する。 #ISO1638400が提示するのは、現代アートの閉じたゲームのルールに甘んじることではない。AI生成の虚構にも、従来の被写体従属にも陥らず、被写体を解体した二重の否定性によって立ち現れる新たな美の語彙をもって、数万年続く人類の美学史の正統な地平に立つこと。だからこそ、本作は現代アートの文脈のみに収まるのではない。#ISO1638400こそが来たるべき文脈となる。

 

Deepflat Gallery

小倉 永慈

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#ISO1638400

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#ISO1638400、あるいは、写真史200年の更新

 写真の誕生から約200年が経過している。その間、写真行為というものは基本的に進化していない。

 写真機の出現は絵画を「写実」から解放し、アートをコンセプチュアルな実験の領域へと押し進めた。カメラというテクノロジーは室内から屋外へ、そしてデジタル化を経て手のひらに収まるスマートフォンへと凄まじい進化を遂げた。現代では生成AIによってデータ空間から容易に画像が出力される時代となり、写真の存在意義そのものが問われているが、目の前の被写体をカメラで撮影するという行為を欠いている以上、もはや従来的な意味での「写真」ではない領域へと進んでいる。

 一方で、写真機および生成技術がどれほど高度化しようとも、従来の写真行為そのものは200年間ほぼ進化してこなかった。なぜなら、それらはすべて「目の前に被写体が存在し、その被写体に依存してイメージを残す」という被写体依存の枠組みを出なかったからである。

 写真作家#ISO1638400 (イソ)が提示する表現の革新は、写真というメディアの物理的成立条件を保持しながら、この写真史200年の「被写体依存」という前提を根底から解体することにある。イソの作品において、日常の何でもないものが被写体に選ばれているのだが、それは依存すべき対象ではなく、自らのイメージを現前させるための触媒、すなわち画家における絵の具や筆などの画材と同等のマテリアルに過ぎない。目の前に被写体があり、デジタルカメラが存在し、それを作家がワンシャッターで撮影するという写真本来の営みを踏まえながらも、イソは被写体には従属しない全く新しい像を立ち上げる。この点において、撮影行為そのものを欠いたAI生成とは決定的に区別され、同時に被写体に縛られ続けてきた従来の写真行為からも完全に脱却している。

 ISO感度を極限値1638400まで高めた状態では、本来何も写らない闇とノイズの世界となる。しかしイソは、そのデジタルデータに対して「ポジからネガへの書き換え」というフィルム写真では真逆の操作を施す。ノイズというエラー(否定性)に、ポジ/ネガの反転(否定性)を掛け合わせる。この「否定性の積」によって、人間の眼球には決して捉えられない「不可視のイメージ=世界の裏側の位相」が鮮烈に立ち現れる。

 これは、かつてアンドレアス・グルスキーが『ライン川 II』で示したような、デジタルレタッチによって現実を削ぎ落とし、人工的に整地する西洋的な画面の統治のアプローチとは根本的に異なる。現実のノイズとカメラの極限状態をまるごと包摂し、「否定性の積」によって崇高を直接現前させるこの手法は、グルスキーを過去のパラダイムへと追いやり、現代写真作品の最高峰を超えうる批評的ポテンシャルを秘めている。

 過去の抽象写真や、近年のコンテンポラリーアートシーンは、特定の制度や限定された文脈の枠内だけの過剰なゲーム性に陥り、美や崇高という概念を軽視しがちであった。しかし、未知の光や自然のノイズに対峙し、そこに美や崇高を見出して形に残そうとする営みは、たった数十年余りの現代アートの文脈に留まるものではない。それは数万年前の洞窟壁画から今日まで、人類の身体に深く刻まれ続けてきた歴史の系譜である。

 だからこそ私は美と崇高を正面から主張する。 #ISO1638400が提示するのは、現代アートの閉じたゲームのルールに甘んじることではない。AI生成の虚構にも、従来の被写体従属にも陥らず、被写体を解体した二重の否定性によって立ち現れる新たな美の語彙をもって、数万年続く人類の美学史の正統な地平に立つこと。だからこそ、本作は現代アートの文脈のみに収まるのではない。#ISO1638400こそが来たるべき文脈となる。

 

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取り扱い Deepflat Gallery
サイズ 92.0 x 61.5 x 2.5 cm
素材 アルミパネル
商品コード 1100056578
配送までの期間 1週間
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