サステナブルな戦争

 色彩とは抵抗である。

 戦争という表象不可能な巨大な災厄は、思想史・文学史・美術史において常に不回避なテーマであり続けてきた。かつてゲルハルト・リヒターをはじめとする戦争体験世代の作家たちは、生々しいトラウマや写真の解体を通じて戦争の表象不可能性と対峙した。では、戦争を直接体験していない世代の作家はいかにして戦争を語ることができるか。「当事者でなければ語れない」という問いは、表現の倫理的ジレンマそのものである。しかし、当事者性の欠如を理由に沈黙を決め込むならば、世界は文化的分断へと帰結するほかない。画家・安原弘高の特異性は、安直なカルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)に抗いながら、非当事者としての緊張関係を創作に内包し、その分断を超えようとする意思そのものをキャンバスに刻み込むことにある。

 安原弘高の戦争画『ノキノグモ』は、一見するとモダンなインテリアに溶け込むポップな美しさを湛えている。しかし、高度な抽象性と重層的なレイヤーによって構成された画面は、鑑賞者が日常の景観として順応することを許さない。一方で、北欧家具に馴染む色使いによって日常空間に美しく溶け込む心地よさを提供する。しかしながら他方で、重層的なレイヤーのひとつである戦争のモチーフをみとめた瞬間、鑑賞者は「これは戦争画である」という事実に再帰的に直面させられる。日常のすぐ裏側に戦争が地続きで存在しているという残酷な構造が、心地よさと緊張感の狭間に刻印されている。

 この表層の裏に潜むのは、Netflixで公開された『攻殻機動隊 SAC_2045』が提示した「サステナブル・ウォー(持続可能戦争)」──すなわち、サステナブルとは豊かな日常の持続可能性を謳う標語であるが、世界経済や社会システムを循環させるために紛争が存続し、「戦争は平和なり」がアイロニーなく成立する冷徹な構造である。戦争によって世界経済が回る状況とは、一面的には、ロシア・ウクライナ戦争の開戦時にアメリカが交渉を拒否してウクライナに武器を提供し続けることで戦争が長期化した事実を思わせる。サステナブルな生活の心地よさと、時間的・地理的に離れた場所での戦争との、その狭間で思考することをやめないこの戦争画は、まさにサステナブルな戦争を表象する。

 さらに着目すべきは、画面上で多方向へと流動する絵の具の痕跡である。これは、単なる物理的なアクロバットや抽象表現主義の模倣ではない。時間とは、重力によって規定される。ゆえに時間は相対的であると喝破したのがアインシュタインの仕事なわけだが、一方向的な重力に抗う絵の具の流れは、直線的な時間軸の延長上にいる1人の日本人画家が、日常生活にコミットしながらも、それでも戦争を語ることができるかという倫理に挑む痕跡そのものに他ならない。重力のベクトルを解体するように重層化されたその筆致は、平時と戦時を直線的に分断する時間軸(もはや戦後ではない)に対する明確な絵画的抵抗である。

 ポップなインテリアの顔をしたflatな表層と同一平面上に、世界の構造的歪みと、分断を超えんとする画家の思想的緊張がdeepに宿る。二つの位相が一枚の絵画として結実したとき、我々の前に破綻なく立ち現れるもの──それこそが崇高である。

 

Deepflat Gallery

小倉 永慈

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安原弘高

ノキノグモ

¥ 330,000 (税込)

サステナブルな戦争

 色彩とは抵抗である。

 戦争という表象不可能な巨大な災厄は、思想史・文学史・美術史において常に不回避なテーマであり続けてきた。かつてゲルハルト・リヒターをはじめとする戦争体験世代の作家たちは、生々しいトラウマや写真の解体を通じて戦争の表象不可能性と対峙した。では、戦争を直接体験していない世代の作家はいかにして戦争を語ることができるか。「当事者でなければ語れない」という問いは、表現の倫理的ジレンマそのものである。しかし、当事者性の欠如を理由に沈黙を決め込むならば、世界は文化的分断へと帰結するほかない。画家・安原弘高の特異性は、安直なカルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)に抗いながら、非当事者としての緊張関係を創作に内包し、その分断を超えようとする意思そのものをキャンバスに刻み込むことにある。

 安原弘高の戦争画『ノキノグモ』は、一見するとモダンなインテリアに溶け込むポップな美しさを湛えている。しかし、高度な抽象性と重層的なレイヤーによって構成された画面は、鑑賞者が日常の景観として順応することを許さない。一方で、北欧家具に馴染む色使いによって日常空間に美しく溶け込む心地よさを提供する。しかしながら他方で、重層的なレイヤーのひとつである戦争のモチーフをみとめた瞬間、鑑賞者は「これは戦争画である」という事実に再帰的に直面させられる。日常のすぐ裏側に戦争が地続きで存在しているという残酷な構造が、心地よさと緊張感の狭間に刻印されている。

 この表層の裏に潜むのは、Netflixで公開された『攻殻機動隊 SAC_2045』が提示した「サステナブル・ウォー(持続可能戦争)」──すなわち、サステナブルとは豊かな日常の持続可能性を謳う標語であるが、世界経済や社会システムを循環させるために紛争が存続し、「戦争は平和なり」がアイロニーなく成立する冷徹な構造である。戦争によって世界経済が回る状況とは、一面的には、ロシア・ウクライナ戦争の開戦時にアメリカが交渉を拒否してウクライナに武器を提供し続けることで戦争が長期化した事実を思わせる。サステナブルな生活の心地よさと、時間的・地理的に離れた場所での戦争との、その狭間で思考することをやめないこの戦争画は、まさにサステナブルな戦争を表象する。

 さらに着目すべきは、画面上で多方向へと流動する絵の具の痕跡である。これは、単なる物理的なアクロバットや抽象表現主義の模倣ではない。時間とは、重力によって規定される。ゆえに時間は相対的であると喝破したのがアインシュタインの仕事なわけだが、一方向的な重力に抗う絵の具の流れは、直線的な時間軸の延長上にいる1人の日本人画家が、日常生活にコミットしながらも、それでも戦争を語ることができるかという倫理に挑む痕跡そのものに他ならない。重力のベクトルを解体するように重層化されたその筆致は、平時と戦時を直線的に分断する時間軸(もはや戦後ではない)に対する明確な絵画的抵抗である。

 ポップなインテリアの顔をしたflatな表層と同一平面上に、世界の構造的歪みと、分断を超えんとする画家の思想的緊張がdeepに宿る。二つの位相が一枚の絵画として結実したとき、我々の前に破綻なく立ち現れるもの──それこそが崇高である。

 

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小倉 永慈

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